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執筆者の写真oryza63

縋りつきたい(すがりつきたい)気持ちは恥ずかしいことではない

人は誰しも「何か」に「誰か」に縋り付きたい気持ちがある。

それは宗教だったり、友達だったり、スピリチュアルだったり、占いだったりする。

それをもって「だらしない」とか「甘い」と言うのは「酷」である。


それが人間だし、当然のことだ。

それを否定する事の方が「恥ずかしい」ことであり「人間性の否定」である。

何かにすがっても、そこから新しい「何か」を見つけ出し、その目標に向かって行く事が大切だ。

いつまでも縋り続けるのではなく、そこから自分が安心できる何かを見つけるべきである。


理論や理屈をタラタラ話して、自分の本当の気持ちを隠すのは単に「我慢」を強いているだけで、なんの解決にもならない。

縋りつくだけでなく、泣きたい気持ちだって吐き出せばいいのである。

弱い自分をさらけ出してもいい。

ただ、その姿をみんなに見せて「哀れみ」を買うのはダメだ。


それを許してくれる誰かにだけ見せ、そこで心を解放して自分を見つめ直す事だ。

弱い自分もいれば強い自分もいる。

強い姿だけを見せ続けるのは本当の自分とのギャップが生まれ、苦しい毎日を過ごすことになる。

心理学でいうところの「4つの自分」の存在を忘れてはいけない。

1.自分が思っている自分

2.他人が思っている自分

3.自分も他人も知らない自分

4.本当の自分

これだけあると言われているのだから、弱い自分や何かに縋る自分があってヨロシイ。


それを否定する事の方が「自己否定」になってしまう。

自分を否定する、自分を隠す事の方が恥ずべき行為であろう。




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