音楽聴いたり、スマホを見ながら歩いていたり、電車の乗っていたりと、この十数年でそういう人が増えた。
それぞれ自由な時間を使って好きな事をしているのだろう。
ただ、オレはそんなこと怖くてできん。
昔、たぶん20歳を過ぎた頃、夜の銀座通りを歩いていて信号待ちをしていた時のこと。
赤信号が青に変わった時、反対側から男女のアベックが横断歩道を渡り始めた。
その瞬間、黄色信号から赤に変わったのに交差点に突っ込んできたタクシーに女性がはねられた。
二人で渡り始めたのだが、女性の方が「一足」先に道路に出て、彼女だけがはねられた。
あの通りの幅は20m以上だったが、靴がこちら側まで飛んできた。
その後の事は分からないが、「一歩」の違いが運命を変えたのである。
いろいろ調べてみたら、大きな衝撃を受けて身体が回転すると遠心力が加わり、その力は手足の先に大きな力として「外側」へ向かう。
そうすると、その衝撃の程度によっては「過大」な力が手足にかかり、根本から引きちぎれる。
靴が吹っ飛んだだけで済んだのは「運が良かった」だけであった。
だからなのか、オレは今でも青信号で横断歩道を渡る時は「左右確認」をしているし、さらに悪どいマネだが、誰かが先に進んでから歩道を渡るようにしている(まるでペンギンのようである)。
また当時、駅のホームで後ろから押されて落ち、電車の轢かれる事故もあった。
列に並んでいても同じようなことがあって、それ以来列には並ばずホームの柱などをバックに立っている。
座ろうとしなければ、その方が安全である。
車を運転している時は、窓をほんの少し開けている事が多い。
それは周囲の音を聞くためである。
ミラーだけでは分からない事もあるので、「音」で把握するようにしている。
これは車内でタバコを吸うからそれの換気のためであったが、音が聞こえる方が危険察知に役立つことが分かり、依頼そのままにしている。
最近では煽り運転とか危険運転が多いが、「異変」を感じたらそこから離れるのが鉄則である。
車であっても「急ぐ旅」でもなかろうに、危ないヤツと一緒に走る方が「頭がおかしい」。
そもそもオレの場合、周りの車や周りの人の運転を「信用していない」から「なんかヘン」と思ったら避ける行動が優先されている。
歩行者についてもそうで、歩行者は「何も考えていない」が前提なので「分かっている」なんて思ってもいない。
歩きスマホや音楽聴きながら歩く、というのはそういった危険は「あり得ない」事を前提にしていることだ。
オレにしてみれば「そんな恐ろしい事はできん」となる。
するヤツは「アタオカ」でしかないと思う。
歳や病気でくたばるのはしょうがないが、事故や事件に巻き込まれてくたばるのは絶対にイヤなのである。
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