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執筆者の写真oryza63

音楽を聴きながら、スマホを見ながら歩いている人が多いな

音楽聴いたり、スマホを見ながら歩いていたり、電車の乗っていたりと、この十数年でそういう人が増えた。

それぞれ自由な時間を使って好きな事をしているのだろう。

ただ、オレはそんなこと怖くてできん。


昔、たぶん20歳を過ぎた頃、夜の銀座通りを歩いていて信号待ちをしていた時のこと。

赤信号が青に変わった時、反対側から男女のアベックが横断歩道を渡り始めた。

その瞬間、黄色信号から赤に変わったのに交差点に突っ込んできたタクシーに女性がはねられた。

二人で渡り始めたのだが、女性の方が「一足」先に道路に出て、彼女だけがはねられた。

あの通りの幅は20m以上だったが、靴がこちら側まで飛んできた。

その後の事は分からないが、「一歩」の違いが運命を変えたのである。


いろいろ調べてみたら、大きな衝撃を受けて身体が回転すると遠心力が加わり、その力は手足の先に大きな力として「外側」へ向かう。

そうすると、その衝撃の程度によっては「過大」な力が手足にかかり、根本から引きちぎれる。

靴が吹っ飛んだだけで済んだのは「運が良かった」だけであった。

だからなのか、オレは今でも青信号で横断歩道を渡る時は「左右確認」をしているし、さらに悪どいマネだが、誰かが先に進んでから歩道を渡るようにしている(まるでペンギンのようである)。


また当時、駅のホームで後ろから押されて落ち、電車の轢かれる事故もあった。

列に並んでいても同じようなことがあって、それ以来列には並ばずホームの柱などをバックに立っている。

座ろうとしなければ、その方が安全である。


車を運転している時は、窓をほんの少し開けている事が多い。

それは周囲の音を聞くためである。

ミラーだけでは分からない事もあるので、「音」で把握するようにしている。

これは車内でタバコを吸うからそれの換気のためであったが、音が聞こえる方が危険察知に役立つことが分かり、依頼そのままにしている。


最近では煽り運転とか危険運転が多いが、「異変」を感じたらそこから離れるのが鉄則である。

車であっても「急ぐ旅」でもなかろうに、危ないヤツと一緒に走る方が「頭がおかしい」。


そもそもオレの場合、周りの車や周りの人の運転を「信用していない」から「なんかヘン」と思ったら避ける行動が優先されている。

歩行者についてもそうで、歩行者は「何も考えていない」が前提なので「分かっている」なんて思ってもいない。


歩きスマホや音楽聴きながら歩く、というのはそういった危険は「あり得ない」事を前提にしていることだ。

オレにしてみれば「そんな恐ろしい事はできん」となる。

するヤツは「アタオカ」でしかないと思う。


歳や病気でくたばるのはしょうがないが、事故や事件に巻き込まれてくたばるのは絶対にイヤなのである。





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