ウソを使って相手を貶める、破滅させる、苦しめる、困らせる、いろいろな方法があるが多くの場合、相手であるあなたを貶めることで苦しめるというパターンが多い。
ウソは人の心を壊せるし、人間関係を敵対関係に向かわせることもできる。
会社も国も亡ぼす事ができる強力な武器だということを忘れてはいけない。
パーソナリティ障害や何かの疾患では「ウソ」を言うことが常と言える状態になるが、その中には「その場凌ぎのウソ」というものがある。
これはその都度、単発で吐き出すものなので前後の話しと整合性が取れなくなることが多い。
しかし、整合性が取れている、「ウソ」だと見破りにくいウソを言う人間もいる。
詐欺師やサイコパスがそうである。
単発のウソと整合性の取れるウソのどこが違うか?
単発のウソは樹木でいえば、枝葉末節に近い話しで組み立てるのに対して、整合性の取れているウソは「大きな幹」である本体がウソであったりする。
そこから枝葉末節が伸びていくので、すべてのウソが関連している。
第二次大戦のナチスドイツの宣伝工作でも「大きな嘘を一つだけ言え」というのがあった。
幹がしっかりしていれば、そこから伸びる枝葉がウソでも大元の話しと食い違いが起きないから信用されるということだ。
世にある「陰謀論」もこれに近い設計になっている。
他にカルト集団がよく使う「地球終末説」もそうだ。
最初に終末論を唱え、世界で起きる異常現象はそれに繋がっている、そのための異変である、と唱えると信じられやすい。
逆に、異常現象や異変が起きている中で、「これは終末が近づいている」と唱えると「後付け解釈」のよう感じられてしまい「インチキ」と認定されやすい。
さて、なんでこんなに長々と説明したかというと、交際相手や夫婦でこういったウソを言われ続け悪者になってしまう人が多いからである。
単発バラバラのウソなら長い付き合いの友達は「ウソ」だと感づく。
しかし新しい友達やそれほど親しくない友達は信じやすい。
整合性のあるウソを言いふらす相手だと、長い付き合いの友達が騙される事が多い。
同時に、新しい友達も信じてしまう。
こうなってくると「味方」はほぼいなくなる。
さらに整合性のあるウソを振りまくような人間は、「仲間割れ」を起こすようなウソも得意である。
そうなると自分にとって「誰が味方か」まったく分からなくなり、誰も信用できなくなって孤立化し孤独になり引きこもるか、逃げ出すしかなくなる。
「こりゃタマラン」となるが、国際関係では毎度おなじみのものである。
よく言われる「敵の敵は味方」とか「敵の敵の敵を利用する」とか関連を見て行くと分からなくなってしまう。
パーソナリティ障害傾向の人間はこれを身近な人に使う。
ウソを吐く悪魔のような人間、サイコパスといえる人間を題材にした小説や映画は多いが、たぶんその最初期と思われるモノが
1954年の小説「悪い種子(The Bad Seed:わるいたね)」であろう。
1956年に映画化されたが、ウソを使い殺人を繰り返す少女の物語である。
サイコパス映画の原点ともいわれている。
もう70年前ではあるが、こういう連中のパターンは変わらないようだ。
結末は当時のハリウッドの規制で「ハッピーエンド」に改編されているが、見る価値はあろう。
相手のやり口を知る、ということはマスターすれば「自分もできる」ということだ。
使う使わないは別として「手口」は知っておいた方がいいと思う。
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