詐欺事件、特に結婚詐欺やSNSを使ってのおびき出し監禁などの事件で、犯人が捕まってニュースでその様子が出るとネット上では
「こんなヤツのどこがいいのか?」
「一目見て怪しい奴だろ」
という声が沸き上がる。
百歩譲って「そうだ」としても、それはオマエの考えであり、オマエの好みだろ、である。
そんな事を言う奴等は、人の好みは千差万別というものを認めていない「狭小な心」の持ち主か、それを知らない「愚か者」である。
だったら「オマエの面はどうなんだ?」と言いたい。
こういうヤツに限って「美人」に騙されたり、ハニートラップに簡単に引っ掛かるのである。
そして他人の「思い」というものを理解できない、共感できないという頭の障害を持つ人間だと思う。
そもそも美男美女の概念などは、人それぞれなんだから、他人の好みについてあーだこーだ言う資格はない。
あるとすれば「言う権利」くらいである。
しかしそれを口に出して言い回るのは「品性が無い」と思う。
「あんなヤツ」という言葉の後にはたぶん、
「あんなヤツに彼女がいるのに、自分にはいない」
といった気持ちがあるかもしれない。
女性も同じ事を言っているなら
「あんなの引っ掛かるバカな女もいるけど、自分にはそんなヤツさえ寄ってこない」
という思いもあるかもしれん。
「人は見た目、外見で気持ちが動く」というのは真実である。
しかし、その時の心情、心の状態によっては「掛ける言葉」で気持ちが動くことも多い。
「SNSで知り合った男の家に行ってしまった」という事件もあるが、犯人が捕まって連行されるときの映像を見たことがあるか?
すべてとは言わないが、多くの場面では
・すだれハゲの30代デブ
・ボサボサ頭の40代デブ
・目がイってるような怪しいオヤジ
こんなのばかりである。
じゃーなんでこんな奴らの下に彼女達は行ってしまったのか。
監禁されていたのもあるが、一緒に暮らしていて、どこかに出かけたりもしている。
なんでそうなるのか?
それは「心が通じた」「自分の理解者を始めてみつけた」という思いから繋がってしまったといえる。
そこには見た目は「二の次三の次」であって、まずは何よりも「自分の理解者」が必要だったといえる。
「カッコいい、美人」それはそれでいいだろうが、心から求めるのはもっと違った相手であることが多いと思う。
「眼で見る」ではなく「心眼」で見ることの方がよっぽど大切である。
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