キリスト教カトリックは離婚を禁止している。
とはいっても「相手次第」である。
DVが酷いとかモラハラや虐待が酷い相手と離婚できなかたったら最悪である。
しかしそこは考えようで「教義はマトモな人間に対してあるものだ。あんたの夫は人間ではないからさっさと別れるべき」と話す神父もいる。
カトリック神父は「結婚せず」一生独身というのが決まりだが、結婚しなければいいだけなので「愛人」がいたりする。
厳格に考えたら女性はダメなので「男の子」にしたりもする。
イスラム教は豚肉禁止である。
しかしハムやソーセージを食べる人もいる。
それを見て「お前はとんでもない奴だ」と批判が出そうだが、イスラム教の教えでは「教えを守っているかどうか口やかましく言う」事が禁止されている。
さらに言えば、「これだったらいいよね、許されるよね」といった拡大解釈も多いのである。
ユダヤ教も似たようなもので食べ物の規定がある。
しかし、「食事に招かれて出されたら、美味しく食べろ」というのがある。
「自分の信仰を強く出してまで相手の誠意を撥ねつけるな」ということである。
イスラム教もここは似ている。
仏教では霊魂の存在を認めていない、だから「幽霊を見た」と言ったら「気の迷い」で返されてしまう。
出家したお坊さんでも「女漁り」することだってある。
アニメで有名な一休さんも中年以降は非常に「女好き」のエロ坊主であった。
脱線するがロシアの文豪ドストエフスキーは「無類のギャンブル好き」で、ギャンブルで借金を作りまくった。
その借金を返せとマフィアに脅され、必死になって小説を作っていた。
その時の作品に「罪と罰」「賭博師」がある。
みんな、どこにも「裏と表」「光と影」がある。
原理原則を守り、それを絶対視して他人に押し付けるのは原理主義と言われる。
それが核心であるから強硬になるのだろうが、こうなってくるとハードコアということになる。
そんな宗教だったら「ハードコア宗教」だし、
決まりがやたらとある学校だったら「ハードコア学校」だろうな。
融通が利かなくなると「ウルサイだけ」である。
規則や原理原則には「裏道や裏口」がちゃんとあって、息抜きができるようになっている。
自分のために「裏口」をちゃんと用意しているか?
原理原則で自分を縛ってないか?
そんなことをして「自分の生き方」を縛るのは良くないぞ。
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