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江戸時代にティーバッグがあった

ティーバッグ、紅茶などを袋に入れてお湯に浸す「あれ」である。

tea bag」のこと、勘違いしてはイカン。


調べ物をしていたら、江戸時代後期にはすでに「茶袋」というのがあったようだ。

目的は同じで茶葉を急須にいれて飲むより手っ取り早いから。

しかし、へそ曲がりのオレなのでそんな程度のことでここに書く訳ない。


調べ物の中身は、吉原の花魁、大火の後にできた「新吉原」のことについてである。

ここの女郎の最高位が「呼び出し昼三(よびだしちゅうさん)」という。

昼だけ遊ぶのに「三分(一両の3/4)」、今で言うと10万円くらい掛かるからその名が付いた。

格式が高いので金は掛かるわ、なかなか仲良くなれないわで、新吉原の最初の頃でも「仲良く」なるまで何百両と掛かっていたようだ。

しかも金を引っ張れるだけ引っ張って振ってしまう事もある。

今のキャバ嬢やマッチングアプリにいる「強欲女」と似たようなものである。



さてこの女郎ランクで「散茶女郎(さんちゃじょろう)」というのがあった。

散茶とは、茶葉を挽いて粉にしたもの(粉茶)で、お湯を入れればすぐ飲めて便利なもの。

茶袋というティーバッグに入れてフリフリするよりも手軽である。


こう書けば分かるであろう。

茶袋は振るが、散茶は振らない、ということから「客を断らない」「すぐ仲良くできる女郎」ということで散茶女郎という名称になったようだ。

よく考えたものである、さすがお茶だけあって茶目っ気のある名称だ。



ところでペリー来航での騒ぎを書いた落首として

「太平の眠りを覚ます蒸気船、たった四杯で夜も眠れず」

というのが昔は教科書にあったのだが、これは明治期のモノらしいということで掲載されなくなったようだ。

しかし、1853年6月に江戸の国学者と水戸の書店主の書簡に

「太平之ねむけをさます上喜撰、たった四はいて夜るもねむられす」

というのがあった。

だからなんだ、と思うだろうがこれも狂歌・落首で、ジョークというよりエスプリである。


今の東京四谷に「お茶問屋」で喜撰堂(きせんどう)というのがあった。

高級茶を扱っていたようで、ここの「上クラス」のお茶はカフェインも多く、目が冴えてしまう、それを四杯も飲んだら眠れない。


ペリー船団4隻の蒸気船が来て、景気づけに大砲を撃つので驚いて眠れない。

蒸気船を上喜撰に、4隻を四杯に掛けたわけだ。


花魁の散茶から蒸気船になってしまったが、江戸時代の話しはオモシロイものである。

と思っているのはオレだけか?







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