一番町から六番町まであるのを知っているだろうか?
ここは江戸時代に将軍警固のための武力集団が住んでいた所である。
なんでこんな話をするかといえば、以前知り合いが「番頭」という役職名を
「ばんとう」と言っていたのが発端。
あれは「ばんとう」ではなく「ばんがしら」である。
「大番(おおばん)組」というのがあって、それの組頭を番頭という。
その大番組のトップ、総大将が大番頭(おおばんがしら)。
5千石以上の旗本がなる役職で、確か五番組がその大将格。
旗本クラスだと町奉行とか寺社奉行とかが最高位なのだが、大番頭はそれ以上の格であって
通常は「大番頭(おおばんがしら)」というのだが、他の旗本にとっては別格で上の存在で畏れ多いので「大御番頭(おお”ご”ばんがしら)」と呼ばれたそうである。
そんな幕府最強部隊の組屋敷があったのが「番町」で、六番町まであるのは「一番組から六番組」まであった名残なのである。
大番組は他藩でもあったそうで、町名で「番町」とあればその名残である。
他藩とはいっても、それなりの大藩でないとないだろうが。
そういえば「港区麻布十番」というのもあるが、あれは一説によると江戸時代に近くを流れる「古川」の河川工事の区画番号だったとも言われている。
他にも説はいろいろあるけどね。
町名に番号が付いているとか数字が入っているのは調べていくとけっこうオモシロイもので、いろんな由来を知ることができる。
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