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日曜日の午後に「過去と対話」してきた話し

高校2年の時に1年間だけ世界史の授業があり、初日に先生が黒板に書いたのが

「歴史とは過去との対話である」という文言。

これはイギリスの歴史家であり、国際政治学者であり、外交官でもあった

「E.H.カー(Edward Hallett Carr)」が自著「歴史とは何か」で記した言葉である。


カンカン照りとなった日曜日の午後に自転車で付近を散歩して過去と対話してきたのである。


まずはこの丘。

縄文時代中期、今から5千年ほど前にあった集落の跡である。

この景色(ビルは除く)、同じ空を5千年前の人も見ていた、それも同じようなカンカン照りの午後に見ていたかと思うとワクワクしてくる。

何を思って見ていたのだろう。

縄文時代は今から1万5千年~3千年前くらいで、新旧の石器時代にかかっている。

この後に弥生時代になる。



次は、件の集落がある丘の麓を流れる川。

5千年前には既にあったらしく、それで人が集まり住んでいたようだ。

川の流れを見て、鴨長明の書いた「方丈記」を思う。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

諸行無常と同様、すべては絶えず変化している、という古代ギリシャの哲学者

ヘラクレイトスの「万物は流転する」という言葉そのものである。


鴨長明は平安時代から鎌倉時代にかけて(今から800年くらい前)の随筆家である。

ヘラクレイトスは紀元前540年だから今から2600年前である。


鴨長明は京都下賀茂神社の神職の子供として、将来有望であったがその後父親が死んで、朝廷や他の神職から反対され、下鴨だけでなく神職としての出世の道が閉ざされてしまった。

しかしそのために後世にまで名が残る事になるとは思わなかったであろう。



最後は寺の山門で暑さを凌ぎ、風に吹かれてノンビリ

寺の歴史を見ると860年頃(今から400年くらい前)の建立らしい。

それは別として、山門は風が通って涼しく気持ちが良い。

できればここで昼寝をしたかったが、不敬であるのでカンカン照りの中を帰ったのである。

もし寝たらそれこそ「一炊の夢」を見てしまうかもしれない。



さて、最初の世界史の話しだが先生は時代を語る時に、その時代を基にした小説を使って授業をしていた。

覚えているのはチャールズ・ディケンズの「二都物語」である。

読んだ方がいい、と言われていたが読まず仕舞いである。


その数年後、イギリスのロックグループで「ユーライアヒープ」というのを知った。

この名前はチャールズ・ディケンズの「デビット・コパフィールド」に出て来る男、「ユライアヒープ」から取ったのである。

だからグループ名は正しくは「ユライアヒープ」であって決して「ユーライア」ではない。

歴史は繋がっていたのである。


こうしてカンカン照りの暑い午後に、散歩をし、過去と対話し、疲れて帰ったのであった。



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