「我慢は美徳」という考えが昔からあるが、これが個性を消し去ったり、周囲に同調する事を強制しているとも言われている。
辛い事があっても我慢する、苦しくても我慢する、といったことが何故「良い事」なのであろうか。
そりゃある程度のガマンは生きて行く上で必要である。
しかし、それも程度の問題であって自分の頭がオカシクなりそうなのにガマンしたり、病気になるほどガマンする、死にたくなるくらいなのにガマンするのは異常だろ。
ガマンすることはある意味「従順」であることに繋がる。
じゃ~誰に従順であるのか、周囲か、特定の人か、親か、夫か妻なのか。
もしかしたら、そのどれでもない、姿形のない「世間」というものなのかもしれん。
誰かと別れる、交際相手や夫婦でも、相手に対してガマンの限界に来た人ばかりがそうなる訳でもない。
限界に来るもっと前に、従順であることをキッパリ止めようと決心した人がそれをする。
相手に従順になるのではなく、自分の心に従順になれ。
精神科では、社会生活に支障をきたす状態を病気とか疾患、障害といっている。
社会生活に支障をきたす、というのは他人に迷惑を掛ける、ケガを負わす、精神を追い込むといった暴行傷害のようなことをする状態である。
それから考えると、自分の気持ちや思いを言葉に出す。
自分の思う通りに行動する、というのは社会生活に支障をきたすようなモノでも無いので「病気」とくに精神的な病気ではなかろう。
自由になろうとすると「アイツは病気だ」「気が狂った」等と言われるが、それでも周囲に迷惑を掛けていないのだから、その言葉使いは間違っている。
単に「従順ではなくなった」「同調圧力に屈しなかった」程度のものである。
ガマンを止めても誰も迷惑しないのなら、自由になることだな。
逆に従順を求める、同調を求める行動の方が「異常」であって、社会に押しつぶされて行くと思う。
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