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心が折れそうになって引きこもりに傾く人たち

執筆者の写真: oryza63oryza63

メンタル系の相談、特にDVモラハラ関連の話しになると相手の攻撃の激しさに「心が折れそう」になっている人が物凄く多い。

暴力や言葉の他に、お金や監視といったもので縛りつけて「反撃意欲」を失わせる。


反論や反抗するたびに「より強大な力」で返されて行くと、「何をしてもムダ」と思い始め、やがてそれが基本となっていく、これはつまり「洗脳」であって心理学的にいうと「学習性無力感」と言われている。


これが出てくる頃には本人の心も折れそうになっていて「なんとか」心を保っているようなもので、いつ「折れて」もおかしくない状態だ。

こうなってしまう原因として、徹底管理(監視)された環境に置かれ、誰にも相談でしきないことが挙げられる。

「閉じた世界」にいるわけだ。


そんな閉じた世界から逃げ出すか、抜け出さないと引きこもって行く。

過去にDVで引きこもっていた人は数人いるが、今は普通に暮らることができている。

どうやって「普通の暮らし」に戻ってきたかといえばやはり本人の気力がモノを言っている。

「なんとかしたい」「絶対に健康になる」という意思のもとに、うちの動画を見て連絡してきたのである。

行動の一歩はそこからで、それからは例の如く「何度も話す」「何時間も話す」ことでカタルシス(吐き出し)が行われ、自分の考えを整理することができたと言える。


すべてにこれが使える、とは思わないが多くのケースでカタルシスは有効だ。

それにプラスして「一緒に」どこかへ行く、一緒に食事するといった行動も大切で、これは共同体というか一体感を持つ、信頼感醸成に役立つ。

心理カウンセリングはカタルシスが使われるが、時間制限があって中途半端になる。

さらにカウンセリングの間隔が「一か月~二か月)空くことで意欲が減退してしまう。


サポートとフォローが大切ではあるが、そのサポートも逐次ではなく随時でないとうまくいかない。

逐次とは「予定に従って順番に」であり、随時は「好きなタイミングでいつでも」という意味で似ているがまったく違うのである。

療法としては「逐次」なるのだが、患者には「随時」の方が重要だ。

ここにギャップができているため途中で挫折したり投げ出したりして時間が大幅にかかるのである。


だからオレとしては「随時」の相談や対応を旨としているし、行動が必要だから「同行」というものを取り入れているのだが、よく分かってもらえないんだよな。




 
 
 

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