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常識を疑え

この言葉はいろんな場面で使われる。

マーケティングでも営業でも、工学系でも使われる。

常識というものの枠の中で考えると、常識的な答えや考えしか出てこない。


今まで常識と思われていたものもそうだろう。

中学当たりの社会の教科書にあった、参勤交代、士農工商の階級だって後世の「何者か」によって自分達の思想に都合の良いように変えられている。

江戸時代の庶民の生活、寺子屋の数、女子の通う寺子屋、寺子屋の女性教師、こんなのだって江戸時代を貶めるための策略に使われ、常識とされてきた。

平安時代からの通い婚、夜這い制度も「エロ物、際物」として伝えられている。


社会通念は時代によって変化している。

家族の形態も違っているし、社会制度も違ってきている。

そんな中で「常識だ」と言われているモノはいったいいつの時代からのモノなのか?

たぶん、せいぜい70年とか100年くらい、昭和初期や戦後のものが多いだろう。


こんなものが「絶対的真実」と思って後生大事にありがたがっている人が多い。

昔読んだアメリカの本のタイトルではないが、「頭にガツンと一撃」が必要である。

常識を疑い、「本当にそれがいいのか」考える必要がある。


多くの人は「思考を停止」しているようなもので、何かと言うとネットで「比較情報」を持ち出してくる。

比較サイトが大流行りなのも、自分で選べない、考えられない、自分ではなく全体を意識しているからである。


「自分は自分、他人は他人」という思考が無くなって、全体の中にいることで心地良さを感じているのかもしれないが、こうなると「他人の目」が気になってしまう。

いつも他人の目を気にしていて気持ちがいいのか?

世間体ばかり気にして、自分の事は後回しでいいのか?

大事なのは世間で、自分の事は大事じゃないのか?


常識に囚われ過ぎると、自分の感情や欲求を抑え込んでしまい、心理的葛藤から精神を壊してしまう。








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