辞書では
屠竜之技(とりょうのぎ)とは、空想上の竜を倒す技を習得することは意味がなく使い道がないことから「無駄な努力」を表す
とあったが、唐時代かそれ以前の言い伝えではそんな事書いてなかった。
物語では
昔、ある村に毎年のように竜がやってきて「若い娘」を何人も攫って行った。
村人は絶望し竜が来ることに成す術もなく、娘たちが奪われるのを見るだけだった。
この話しを聞いた青年が竜と戦い倒すための技を仙人だったかに教えを請い、技の習得と技術の向上を目指しひたすら修練した。
これが屠竜之技であり、屠竜とは竜を屠る、つまり竜を殺すことである。
鍛錬を始めると竜は村に現れなくなった。
しかし青年は「いつか来た時」のために鍛錬を続け一生を過ごした。
確かこんな話だった。
国民性の違いだろうが「今使う」「今利用する」「今儲ける」ために鍛錬するなら分るが、「いつ来るか分からない」物事のために鍛錬するのはムダである、と考えるのであろう。
「予防」や「対策」とは無縁の考えである。
「今使う」「今利用する」「今儲ける」もっと設ける儲けるためだったらやるが、そうでなければムダで無意味という考えが多いように思う。
以前、たしか愛知県の消防学校だったら、そこの座右の銘というか合言葉が「屠竜之技」だった。
その技術、その能力はいつ使うか分からない、もしかしたら自分は一生使わないかもしれないが、「使い時」が来た時のために訓練するマスターする。
カッコいいよね。
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