愚痴を言いたい、誰かに話したい、誰かに聴いて欲しい、と言う声がやってくる。
「そんなの言えばいいじゃん」と思うだろうが、それを言える相手がいない、受け止めてくれる人がいない、そんな人が多いのである。
「それ」を言ったらバカにされる、みんなが逃げいて行く、爪弾きにされる、変な目で見て来る、こういった恐怖があるから言えない人も多い。
「大人なんだから」「常識的に考えて」「恥ずかしいだろ」と言われるから言えないなんてことがザラにある。
愚痴でも、他愛のない事でも「吐き出す事」ができないとストレスは溜まるだけである。
変な思考でも、おかしな嗜好でも、変態趣味でも、それを口に出すことが大切だ。
これができないことが原因で、理性が抑えつける事で「鬱屈」した思いが強くなっていき、最終的には抑えきれなくなってやたらと「それ」を始めたり、抑え過ぎて「二重人格」になる、ということは先日も書いた。
愚痴でもなんでも吐き出すこと、それが「心の健康」を維持するための最善策なのである。
ガマンは「美徳」でもなんでもない、只々、自分の心を壊すだけの「悪事」である。
うちの相談だって普通の人が聞いたら「目玉が飛び出す」ような趣味嗜好の話しがよく出て来るし、真面目で善人である人が回りからバカにされ心を病んでしまうような話もやってくる。
「真面目」も美徳ではないな。
じゃーどうすればいいんだ?となるが、吐き出して、次は「フリをする」という戦法が一番だろう。
「善人のフリをする」「仕事ができるフリをする」「真面目なフリをする」程度で十分である。
心底、真面目であろうとするから病んでしまう。
適当でいいのである。
しかし、本当に真面目な人はこれさえできないし、拒否するので進む道は病むことしかなくなる。
なぜできないか、なぜ拒否するかといえば、「真面目」を通すからだ。
仕事とプライベートを分ける、そして仕事中は真面目な人を「演じる」のである。
仕事中だけは役者になっていればいいだけだ。
心理学では「ペルソナ」といって、場面場面、相手によって、身につける仮面のようなものがあると言われる。
これで本当の自分を隠すのだが、真面目過ぎる人はこれができないのだ。
できない、とは言いながらも、宅配便の人、お店の人などには愛想笑いを浮かべて「その場をやり過ごす」ではないか。
自然にやっているペルソナの交換を意識してすればいいだけなのだが、それができないがために心を病む。
仮面を付けろ、それを付け替えろ、それで本性を隠せ、それで本心を隠せ。
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