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友達がいない人、作れない人の末路はこうだろう


これは動画でも話した事だが、愚痴を言える相手、相談できる相手がいない、友達がいない、いたとしても深い話しができる相手ではない、といった事で煮詰まってしまう人が多い。


友達だからこそ「言えない話し」もあるだろうが、それならそれが言える相手を持てばいい事だ。

友達はメンドクサイ、コスパが悪い、等と言う人もいるようだが、人間関係を「利益」だけで見るのは如何なモノか。


相手をコスパで見るのであれば、相手もこちらをコスパで見るだろう。

お互いコスパ重視の関係であれば、友達ではなく商売としての付き合いになってしまう。

相手から得られるモノ(お金とか)が減ってくれば付き合いは終了となる。

うちはそこを商売にしているので、「そんな事は良くない」とは言えないが、友達がいない人はこれが最後の砦になってしまうこともある。

無償の関係か有償の関係、どちらかを選ぶしないかない。


また今起きている問題、対人関係や交友関係での人選びのミス、といった事の多くは過去から続く個人的要因が多きい。

いろんな人を見てきて思うのが、愛着の問題である。

ここにスポットライトを当てて、改善する、改善ができないとしても問題がそこにある、という事を理解しないと同じ事を永遠に続ける。


他にあるとすれば、生育期に作られる「標準化・基準への同化」というものだろう。

これは他の人の考え方や守るべき決まり事に対して、自分はどう行動すべきかといった事を学ぶのだが、それを無視する家庭にいると世間とは違う行動を平気でする「無法者」になり易い。

機能不全家庭等がいい例だろう。


そこで育つ人はやはり世間とは違う基準で生きている事が多いし、「なぜそれをしなければならないのか?」といった疑問を持ったり、それを面倒臭いものとして生きて行く。

オマケにそういった家庭にいる事で、「相手に気いられる事を重視」するようになって「気の利く人」となっていき「利用される人・利用しやすい便利な人」なって生きて行く事になる。


基準が狂っている、価値観が狂っているからこうなってしまう。

友達や家族といった共同体を「利益共同体」のように捉えている人もいる。

イヤ、「利益搾取」のために集団を作り、その集団を自分の利益のために利用している、と言えるかもしれない。


その中でコスパ重視という思想が作られているのだと思う。

この考えを転換・修正しない限り「何でも言える友達」や「味方になる友達」を作るのはムリな事だろう。

うちの場合「心のリハビリ」などと言っているが、本質は「思考の転換と修正」「自身の問題点発掘」であり、「人の見方や異常性の見抜き方」の練習である。

友達が作れない人はこういった部分に「ズレ」があって、いつも同じミスを犯して皆が離れて行くのだ。


若いうちはまだそれでいいだろうが、だんだん歳を取っていくと「ガンコ、うるさい、人を寄せ付けない」という迷惑老人になっていくか、「すぐ騙される人、チョロイ人」となって他人の栄養分として生きて行く事になる。

まったく不健全な人生の最終章である。



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