個人主義というと、個人の考えを尊重し、個人の意思決定や行動を尊重することだと思う。
そして、自分で考え、自分で行動するということになる。
選択肢が沢山増えていいものと思われるが、その中には「自殺する決定権」というのもあるようで、個人主義が蔓延してくると自殺率が増えてくるようだ。
逆に、戦争や災害といったものが起きると、個人の意思決定は「脇に置いて」、集団や全体の指示や纏まりというモノが出てくるせいで、自殺率が下がるようである。
これは統計に出ていて「たぶん」そうだろう、ほぼ確実だろうと言われている。
自分勝手にいろいろできる中に「死ぬ」という選択も自由にできるようになるのがイケナイようだ。
こうやって個人主義が進んだことで孤立や孤独が増えている。
「孤独」とは「寂しい」という感情感覚を指し、主観的なものである。
「孤立」とは他者との繋がり無い、客観的な状況を指す。
どちらも精神衛生上よくないのだが、個人至上主義となってから孤独を感じる人が増えているそうだ。
前に書いたかもしれないが、メールなどのSNSが盛んになって、個人的接触はそういったもので代用代行されるようになった。
しかし文面だけだと、感情のやり取りは感じず、さらに略語が多様されることで事務的連絡のようになってしまった。
ここに寂しさを感じるらしいが、そりゃそうだろう。
また、いくら絵文字があったとしても、それは言葉で感情を表す事と比べ心に響かない。
自分の気持ちを分かってくれない、理解してくれない、感情のやりとりが余り無い、ということで段々と接点が薄れていき、やがて孤立してしまう傾向もあるようだ。
こうなってしまうと、DVで怒鳴るような相手の方が「まだマシ」と思ってしまうかもしれん。
会話をSNS で間に合わせるような事をしていたらやがて孤独を感じるし、孤立してしまう。
会話は声に出して意志のやりとりをしないとダメなのだ。
それを「便利だから」といった理由で端折っていくと、困ったことになる。
また、会話が減ることで対人関係を作ることがヘタになっている。
自分の言いたい事を言うのが会話だと思っている人もいて、相手の話しを聞くという事ができない人もいる。
さらには、相手に聞いてもらおう、分かってもらおうという話し方ができない人もいて、困ってしまう事もある。
会話は声を使って意志の伝達疎通をすること。
意志の伝達には言葉だけでなく表情や身振り手振りも必要なので、できれば対面で顔を会わせてすること。
ビデオチャットがあるとはいっても、リアルでの対面と比べたらやはり無理がある。
オレも、ビデオチャットでの相談をするが、イマイチ気が乗らないこともある。
遠くの人を相手にするには便利だが、「便利」といううだけのもので、リアルにはゼッタイに勝てないと思う。
まぁ、そんなことを言うからオッサンなのかもしれんがな。
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