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他愛のない事だけど

執筆者の写真: oryza63oryza63

特にどうという事でもない話しだが、2~3年前の自分の動画を見て驚いた。

何が驚いたかと言えば、喋り方と声が随分と違う、別人のようである。

マイクは何度か変えてはきたが、マイクのせいだけではないな。

人格が変わっているのかと思ってしまう。



話しは変わって、勘違いや聞き違いというのはどの人も経験があると思う。

今朝、食パンを食べようとしていたら、小学校1年の頃の事を突然思い出した。

親たちが「食パン」と言っていたのが「しょっぱん」に聞こえていたのである。

「しょっぱん」とは如何なるものか、きっと塩味が利いたパンであろう、と思っていたのだが、食べても全然塩っぽくないので不思議に思った、そんな事を思い出した。


また、やはりその頃、親が友達の親との会話でドリルの話しが出ていて、「穴を開けるためのドリルが学校で必要なのか」と思った事がある。

さらに、家で勉強するための”ドリル”として「毎日の勉強」という名前のモノがある、という話しをしていた。

いったい何の事か分からなくなったのだが、この「毎日の勉強」というタイトルも聞き間違えていて「万一の勉強」だと思っていた。


「万一の勉強」、タイトルを聞いただけで非常事態、絶体絶命の時のための勉強のように思えてくる。

まったくアホである。


その後も紆余曲折を繰り返しながら大人になり、ある冬の日、今度は家で本を読んでいたら遠くから灯油の移動販売の案内が聞こえて来た。

日石の灯油販売が歌を鳴らしながら「日石灯油ポッカポカ」と言っていたが、これがなぜか「日石灯油飲んじゃった」としか聞こえなかった。


さらに案内の声が続き「容器を出してお待ちください」と言っているのが、「勇気を出してお待ちください」と聞こえていた。

これはその後何年も冬になる度に聞こえ、数年経っても消えないので、車の近くまで行って本来の歌と案内を聞いてきて頭に焼き付けたことがある。


しかし、今でも「あの歌と案内」を聞くと、違うメッセージとして浮かんできてしまうのである。

勇気を出して待つような恐ろしいモノを売りに来る、というのもオカシナ話だが、冬になるとついつい思い出し、一人で笑っているのである。

そしてこれを書いている今も、灯油販売の車が近くを通っている。

平和だよな、オレも・・・・。












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