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執筆者の写真oryza63

人の苗字はオモシロイ

更新日:6月28日

オレは「小林」という苗字でどこにでもあるものだが、これはどこが発祥であろうか?

長野県から新潟県にかけての地域に多い名称で、群馬などにも多いようだ。

まぁ、うちのじーさん(明治生まれ)も長野県の真田村界隈の出であった。


そんな訳で「なんでも興味のある男」であるオレは、人と会った時にその苗字に興味が湧いて来る。

そこで知った変わった苗字を少し紹介しよう。


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熊埜御堂(くまのみどう)と言う。

どうやら九州地域に多いようで、たまたま郵便局職員で名札に書いてあったのを「後学のために教えて」と聞いて知ったのである。

なんだか由緒正しく感じる名前である。



甲把(がっぱ、かっぱ、こうは)と言う。

四国発祥らしいがめったに出会わない苗字。

以前、東京都の森林レンジャーをしていた人で甲把(がっぱ)さんと言う人がいたので覚えている。



長曾我部(ちょうそかべ)と言う。

戦国時代に四国を制覇していた人物で、山内一豊が土佐高知を統治した時に京都へ飛ばされた。

四国、特に愛媛当たりから九州にかけて僅かにいる。

昔、経済誌にあったトヨタ自動車の広告で「京都の長曾我部さん」という女性が載っていて、「おー、末裔がいた」と感動した。



江夏(こうか)と言う。

どう見ても「えなつ」だが読みが違うのである。

広島周辺の人だったと思うが、「こうか」と呼ぶのは未だにこの人だけである。



興梠(こうろぎ)と言う。

これは九州地方が発祥らしい。

人の移動、会社の移転などでたくさんの人が東京へ移転したことで増えたようである。

最初はまったく読めなかったし、名前を言われても「コウロギ?」だった。



老月(おいつき)と言う。

サラリーマン時代にいたバイトの子の苗字。

富山県に多いらしいが珍しいもので、これも未だに次が出てこない。



香月(かづき)と言う。

はるか以前バブルの頃に、五反田駅近くにこんなラーメン屋があった。

その後、仕事で知り合った人がこの名前で思わず「ラーメン屋であったよね」と言ってしまったが本人もよく知っていて「オレも随分行きましたよ」と返してきた。

九州に多いらしい。



越後屋(えちごや)と言う。

横浜に住んでいた時に会った病院の先生が越後屋先生であった。

時代劇に出てきそうで「蘭方医」か「呉服商」かと思ってしまう。

しかし当たり前だが現代医学の人であった。

新潟から秋田、北海道に多いらしい。



般若(はんにゃ)と言う。

これは本当にビックリした、会って挨拶した時に冗談かと思ってしまったが本名だった。

夜会ったら恐ろしい顔になるかと思ってしまうが、夜に会っても普通に優しい人だった。

富山あたりが発祥らしい。



本名(ほんな、ほんみょう)と言う。

書類を渡して「本名 ●●」と書かれてたら「ちゃんと本名を書いてください」と注意されそうだが福島県に多いらしい。

名刺交換した時に驚いて見返し、冗談かと思い尋ねてしまった。



血矢(ちや)と言う。

これも最初聞いた時に驚き、漢字を聞いてもっと驚いた。

戦国武将が血刀持って登場、というイメージである。

千葉県辺りが発祥らしいが、すごく少ないようである。



武弓(たきゅう、たけゆみ)と言う。

武士つながりで登場。

これもまったく読めなかったが、茨城県が発祥らしい。



百目鬼(どうめき)と言う。

サラリーマン一年生の同期の苗字。

生まれて始めて見た苗字で読めなかった。

栃木・茨城など北関東に多いらしいが、これも次が出てこない。



保母(ほぼ)と言う。

電話で「ほぼ、と言います」と言われ「ホモ、と言います」と聞き違えギョッとした。

岐阜・愛知が発祥らしく、今でも愛知県岡崎市に「保母町(ほぼちょう)」として残っている。

保母さんが大挙して住んでいる、全国に保母さんを輩出しているような印象の地名である。



御手洗(みたらい)と言う。

これも以前、仕事で出会った人である。

名前の存在は知っていたが、当事者に出会った時はなぜか感動してしまった。

中国地方から九州に多いらしい。



小比類巻(こひるいまき)と言う。

直接会った事はないが、青森出身の知り合いの話しによく出て来る。

その彼の中学校からの友達らしいが、頻繁に出て来た。

アイヌ語から来ているとも言われているが、青森から北海道にかけて多いらしい。

ちなみに彼はオレの「津軽・南部方言」の師匠でもある。



その他に、北陸方面に行くと「寿司」とか「飴」といった苗字が出て来るのでオモシロイ。

沖縄でオモシロいのは中村(なかむら)とか中間(なかま)という苗字に使う感じ漢字である。

「仲村」「仲間」となる事が多いのだ。


「私のはありふれた苗字だから」と思っていても、そこには歴史がある。

その歴史を知る事で自分の「過去との対話」が生まれるのである。



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