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執筆者の写真oryza63

ガマンと愛着障害

愛着障害は相手に気に入ってもらうため、褒めてもらうため、認めてもらうために先回り行動が多い。

傍から見ていると気が利く人、細かい所まで気が回る人、といった感じ。

ガマンする人もなんとなく、こんな傾向が透けて見えるのだが、オレの考え過ぎだろうか。


「我慢強い、忍耐力がある」といった点を評価してもらおうとしているように感じる。

自分の目的があって、そのためにガマンするなら分かる。

しかし、他人のため、集団のためにガマンする、それを強制されるのは違うのではなかろうか。

置かれた状況、例えば戦争などではガマンも必要だろうが、そんなこともない平時にガマンを要求されるのはちょっとな・・・・。


勝手気ままな事をするのはイカンが、同調を求められるのはオカシイのではなかろうか。

仕事でも「あーやれ、こうやれ」と強制されることはあるが、もっと簡単にもっと楽にできる方法を考えるべきではないだろうか。

ムダなプロセスを省略して、結果を追求する事の方が大事だろ。


これが個人の行動、プライベートになるともっと縛りがある。

「こんな事をしてはイケナイ」「大人なんだから」「世間の常識に合せろ」といった言葉に代表されるようなことがイッパイある。

そんな事で我慢を続けて心がズタボロになってしまっては、なんのためのガマンなのかよくワカラン。

人をブッ潰すためのガマンなのか?

もっとより良い生き方、暮らし方ができるように変えないと、個性もなにも関係なく縛りだけで生かされてしまう。


ガマンの仕方を間違えていないか?




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