「小林さんはどんな音楽を聴く?」と聞かれる事がある。
このオッサンなら歌謡曲あたりだろう、と思うのであろうが違う。
小学校5年から高校卒業くらいまで、日本の音楽とほとんど縁が無かった。
外国にいた訳でなく、洋楽から入ったからそうなった。
転校し5年生の新学期から新しい学校となったが、そこでの朝の朝礼の後、同じクラスの男子が近づいてきて「君、ビートルズが解散したの知ってる?」と言い出した。
時は1970年4月、年齢は推して知るべしである。
彼とは小学校の2年間だけであったが、そこから洋楽オンリーの毎日となった。
60年代から70年代に掛けてということで、いろんな音楽が百花繚乱で一大ムーブメントの時代である。
アメリカンやヨーロピアンポップス、ロックを聴いていたが、その中でもいろんなジャンルを聴いていた。
そしてモータウンのソウル、ハードロック、プログレッシブロック、グラムロック、さらにはジャズと融合してホーンセクションのあるジャズロック、そこからジャズに入りブルースも聴き、彷徨したのである。
その間に過去の曲、1950年代も聴いていた。
この男子こそ、オレの原型というか今の基礎を作ったような人間で、世界史・地理・天文・洋楽・写真などの知識を与え、興味を持たせてくれた張本人である。
まぁ言ってみれば、昔、インカ帝国にやって来たスペイン人の「ビラコチャ」と同じで、いろいろな文化を伝えたようなものである。
このビラコチャという名前も彼が6年生の頃に教えてくれたものである。
その後トンと聞く事は無かったが、40年近く経ち、ある本でビラコチャが出てきた時は懐かしかったものである。
その後中学へ進み、別々の学校となって疎遠になったが、中学でも似たようなオタク的友達ができ洋楽にドップリはまるようになったのである。
今では日本の曲も知っているが、それは20歳以降に過去の曲を聴いて覚えたものである。
こんな過去というか経緯があるせいか、今でも洋楽を聴くと当時を思い出すのである。
失われた10年なのか、それはワカランがこの時得たものは大きく偉大であった。
なにしろ今でも影響を与え続けているんだから。
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