「お盆」というのは仏教用語の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が語源である。
先祖の霊が帰ってくるとかいろいろ言われるが、本来、仏教では霊魂というモノは存在しないことになっている。
だから本来の仏教では「幽霊を見た」などと言ったら「修行が足りない」「気の迷い」として扱われたそうである。
本来の仏教では先祖崇拝はなく、死んだら「あの世」に行って修行が始まる、というものであった。
片道切符であの世の修行施設に送り込まれるのである。
なぜ先祖崇拝、お盆に霊が帰ってくる、という考えができたかというと、インド発祥の仏教が今の中国、たぶん春秋の時代の中国辺りを取って広まった時、仏教より若干早くできた「儒教」の教えと混ざったのだと言われている。
儒教の開祖、広めた人といえば「孔子(こうし)」である。
初期の儒教は古代宗教(シャーマニズム)であったので「交霊」とか「招魂儀礼(しょうこんぎれい)」があったといわれ、だから先祖崇拝があったそうだ。
青森とかの「イタコ」のようなもである。
儒教の地で仏教が広まる中で、「これもあった方がみんなに受け入れられるよね」という事で仏教にも先祖崇拝が入り込んだようだ。
宗教というのはどれも「厳格」なものと思われがちだが、人々に受け入れられるように時代に合せて、地域に合せて考え方を柔軟に変化させている。
というか、その時代の不平不満が宗教になっていると思ってもいいだろう。
ユダヤ教徒であったキリストもユダヤ教の教えに不満を持って行動した結果死刑になり、そのやり方に賛同していた連中が新たな教えとして広め、宗教になってしまった。
浄土真宗の宗祖「親鸞」は、結婚禁止なのに嫁さんがいたし、肉食禁止なのに肉を食べていて「煩悩まみれ」の坊さんであったと言われる。
しかし「こんなオレでも極楽浄土できますよ~、安心してね~」と宣伝して広めていた。
マンガやアニメになった一休さんだって、男色・飲酒・肉食・女犯(にょほん)をしまくっていた。
男とヤリまくり、女とヤリまくり、酒飲んで肉を食ってという坊さんであった。
今のLGBTが見ても真っ青である、彼等の遥か上を行っている。
「室町時代」の反体制アウトローそのものと言える。
ここら辺をアニメで紹介して欲しいモノだ。
ある意味、宗教というのはその時代の「反体制派」であり「価値観を根底から壊す輩」が作り上げた集団でもある。
ただ、仏教については元々は高度な哲学として誕生したため、内容が難解過ぎるので分かりやすい教えを作り出し、●●教とか宗派として広まった。
浄土教などは一般に広めるために
「南無阿弥陀仏と唱えれば、誰でも天国に行けますよ~」
「一言これをいうだけでOKで~す」
「なんなら心の中で思うだけで極楽浄土まっしぐら~」
などと簡略化してしまい、それを宣伝して広めていった。
新興宗教というとみんな怪しがるが、古くからある伝統的宗教も最初は新興勢力だったがゆえに涙ぐましい努力を重ねていたのである。
お盆というのは本来の仏教ではなく、儒教と合体した結果生まれた儀式というのが分かったであろうか。
さらにいえば仏教には「墓」がない、あるのはやはり儒教であった。
宗教というのはいろいろな宗教が混ざり合って出来上がっているのである。
コラボというほどではないが、クロスオーバーしているのである。
今のように商標登録とか意匠登録など無い時代なので「これいいじゃん、もらっとこ」という事で「やったもん勝ち」「真似したもん勝ち」なのだ。
教えにしても偶像にしても、ゼロから作り出した宗教は「ゾロアスター教」くらいであろうと言われている。
だからここら辺が色んな宗教のベースになっている。
どれも似たような教えだったり、儀式だったりするのはそのためだ。
ただ、宗教も長い年月の中でだんだん緩んでくる。
教えを守らないとか、あっちの方がいいや、といって移ってしまう人など。
こういった事が起きないように「締め付け」を厳しくすることもよくある。
「異端排斥」も似たようなものだ。
ぜんぜんダイバーシティ、多様性がないのである。
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