いろいろな変わった相談が来るが、自分が属する宗教団体についての相談もやってくるので今回はそれについて書いてみる。
宗教団体というのは数多ある。
小さのや大きいの、古いのや新しいのなど。
そういった団体では信者を獲得することに執心するが、同時に信者の流出をやたらと気にする。
辞めていく人、集会に参加しなくなる人、いろいろいるだろう。
こういった時、下品な団体は「罰が当たるゾ」「呪いが下るゾ」「不幸になるゾ」と脅して流出防止を必死に図る。
これは何も宗教団体に限らず政治団体でも同じことが言える。
何処とは言わないが、獲得や流出防止に必死になっている所は大抵これをしている。
なぜ必死に防ごうとするのかといえば、
・収入金額、つまりお布施の減少
・信者数減による対外的イメージの悪化
・「数は力なり」という信念の元にあるので、「現象=弱体化」を恐怖している
まぁこんなところであろう。
信者の減少は必ずおきる事なので、そうやって下品なことをして防ごうとしているということは、この事に対しての「理論武装」がまったくできていなかった、それを考えていなかった、ということになる。
要するに、拡大ばかり見てそれにエクスタシーを感じる上層部が「減少」など考える事もしなかっただけの「大バカ団体」でしかない。
それゆえに、減少を目の当たりにして「恥も外聞もなく」下品なことをして食い止めているのだ。
減少への理論武装ができていない、ということはその教団のスタンスがはっきりと見えてくる。
つまりそこは「拡大戦略」しかない団体で、数さえ集めればいいとしか考えていない。
宗教とは本来、個々人の幸せを目指す点にあるのだが、教団の幸せしか目指していない、信者の幸せは「ついで」程度であるということがはっきり見えてくる。
組織固め、信者の脱落や流出防止として有効な戦略としてはキリスト教の「予定説」がある。
これは、
信者が神を信じる行為は信者自身の自発的行為ではなく、神が「信じさせてくれている」ものという考え。
つまり信仰心が持てなくなったのは、自分が持てなくなったのではなく、神が「あなたを見捨てた」という理論である。
これはとても強力な理論で、信者の自由意志ではなく「神の意思」というもので信者をコントロールすることになる。
これによると、信仰心が薄くなった信者でも「フリ」をして誤魔化しながら信者の地位を維持するケースが非常に多いそうである。
「予定説」は信仰を失った信者にさえ自発的に信仰を続けさせることができる。
こういった理論武装や構築、対策ができていない団体は誹謗中傷や脅迫で信者を食い止めようとするが、まったくナンセンスなやり方でその本性や実態を自ら暴露することになるのである。
そうやって維持を図るのはもはや宗教団体ではない。
昔の女郎屋やヤクザの足抜けと同じで酷いものであって、その程度の団体なのである。
いわば彼等が相手を非難する時に使う言葉「邪教」に彼等自身がなってしまっているといえます。
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