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それは止めとけ、自分の「質」が落ちるだけだぞ

DVやらモラハラやら、家庭生活の中で散々な目に遭って頭に来ている人はたくさんいるであろうが、その中で「ゼッタイにやり返す」と心に誓い、言葉で宣言している人がいる。

それも本人の人生だし、それでいいならそうすれば良いだろう、オレは止めないが。


しかし、である。

そんな事を言う人は、他の人に何かされてもやっぱり「仕返ししてやる」と宣言して、その道を全うしようとする、それの繰り返しなのである。

それを繰り返す事で「人としての質」は低下するとオレは思っている。悔しいのは分るが相手と同じ事をしているだけであって、相手と同格の人間になるだけであろう。


オレはキリスト教徒ではないが、聖書には「復讐するは我にあり」という言葉がある。

何かされて復讐するのは我(自分)にあると解釈している人も多いようだが、ここでいる我とは「神」自身のことである。

つまり、腹が立つし悔しいのは分る、しかし、その仕返しをするのは「お前」ではなく「神である私の仕事だ」と言っているのである。


日本にも「天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」という教えがあるが、これは老子の言葉からのものである。


天網(てんもう):天が張り巡らした網、つまり天の法や正義を言う

恢々(かいかい):広く大きく、網の目の粗い様子を表す

疎(そ)にして漏らさず(もらさず)::一見粗いようだが、決して漏らすことはない、つまり悪事を逃がすことはないという意味


どちらも「正義を行うのは天であり神である」と言っている。

相手への仕返しを思い続ける、ということは相手を忘れる事ができない、つまり相手を思い続けることに他ならない。

果たしてそれで健全な精神や心と言えるのであろうか。


この間書いたエリカ・ジョングの「飛ぶのが怖い」ではないが、嫌な事を捨て去り新しい境地に飛び出すべきではないだろうか?



 
 
 

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