聖書に
「求めよさらば与えられん、叩けよさらば開かれん」
というのがある。
物事を成就するには「他力」ではなく自分から行動しろ、といった意味がある。
よくDV等を行政や警察に訴えた時に、「規定通り」の処理と扱いをされ、どうにもならないという声がある。
「これお願いします、ハイ分かりました」程度のやり取りだったのかもしれないが、DVなど、自分の命や頭に危険が及ぶ状態であるなら、ハイそうですか、程度で終わりにしてはイケナイ。
自分が望む状態があるなら、それを分かり易く説明する、それをし続ける事が大切だ。
みんな途中で諦めてしまう。
窓口の職員がダメなら「上席と話したい」と言ってその上司を出させないとイカン。
簡単に引き下がるなら「その程度の問題」として処理されてしまう。
本当に真剣で必死なら「それなら、この処理をしたのは私だと、アンタが一筆書いてくれ」くらいの勢いで申し立てないと忘れられる。
求めよとか叩けよは「一回」だけで済むものではない。
求め続け叩き続けないと、願望を手に入らない。
みんな甘いんだよ。
諦めが早いんだよ。
その程度で対応してもらえると思うのが間違えだ。
必死になれよ。
死ぬか生きるかの瀬戸際にいるんだったら、二つに一つの選択肢しかない。
死にたくないなら、もっとしつこくならないと追い返されるぞ。
離婚についての協議だって、調停だって、裁判だって、甘い考え甘い準備でスタートして、弁護士におんぶに抱っこという人もいる。
そんなんじゃ負けるだろうし、思い通りの結果なんて遠い話し。
相手はマトモな人間じゃないんだから、こっちもそれなりに考えないとイカンのだ。
暴れる親父相手でも、もっと締め付ける方法を考えて追い込んでやらないとイカン。
頭を使って、警察使って、行政使って、さらに法律を自分に都合よく使う事を考えないといつまで経っても負けるだけ。
「そんな方法が分からないんだよ」という人がたまにいるが、それこそ愚か者だ。
そのためにオレがいるだよ。
法律違反にならないような方法、他がやって成功した方法、少し形を変えて使える方法などいろいろある。
真面目に自分だけで考えて潰れていくのは愚か者でしかないのである。
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