法律が悪いというのは百も承知である。
「だったら法律を変えろ」という声もある。
しかし、すべての法律は憲法の「下」にある。
ということは、憲法の制限を超えるような法律条文は作れない、ということである。
これは世界共通というか、法治国家の常識である。
憲法を作って何年も経つと現実とのズレが出て来るので、どの国も憲法を改正している訳だ。
コロナ騒ぎの時、他の国では「外出禁止令」を出したり行動制限をして、違反すれば罰則が付いていた。
それは憲法の中で「非常事態」における規定がちゃんとあるからである。
日本にはそれが無いから「外出禁止」ができなかった。
なぜか、それは日本国憲法の三大原則に「基本的人権の尊重」というのがあり、行動制限はそれに違反するからである。
刑法や商法などいろんな法律は、こうして憲法の枠の中で作られ運用されるのでややこしいったらありゃしない。
個別の法改正もナンダカンダと文句が出るので追加の「条文」や「附則」といったもので対処している。
これがいくつもぶら下がっていて、法律解釈がややこしくなっている。
以前、税理士の知り合いが言っていたが、「毎日のように税法の条文解釈変更や附則の追加がFAXで来るのでタイヘン」だそうだ。
これが刑法とかになるとさらにメンドウである。
「さっさとやれよ」と思うだろうが、すべて憲法と関連しているので、そこに抵触しないようにしないといけない。
天井の高さが決まっている部屋に新しい家具を入れるにしても、高さを考えて購入しないと部屋に入らないのと同じ。
「だったら入るものを買え」となるが、最近の家具は背が高くなっているので選べないし、どこにもない、という状況と同じである。
「それなら新しい家にしよう」となるが、この場合は憲法改正となるからさらに数段の面倒な事態が待っている。
とどのつまりは「もうどうにもならん」事になっているのである。
「法律変えろ」とか「なんとかしろ」と騒ぐのは簡単だが、それをするためにやらなければならない事が山積みどころか考えただけでウンザリするような状態である。
さらに、法律変えろという割には、「だったら憲法変えろ」とは誰も言わない。
みんな「見て見ぬフリ」をしているから始末が悪い。
「もっと臨機応変な対応ができるようにすればいい」という声もあるが、これはいわゆる「人治国家」ということになる。
首相あたりが「明日から変更ね」と言えばガラリと変わる事になる。
「いいじゃん、それ」と思うなかれ。
「明日から消費税は60%ね」と言われたらどうする?
「明日から国に対して文句いったら死刑ね」となったらどうする?
「明日から刑罰は、死刑または5千円の罰金のどちらかね」と言われたらどうする?
「そんな国、ある訳ないだろ」と思っているなら能天気丸出しである。
中国はそれだし、北朝鮮も似たようなものだ。
だいたい共産圏の国は似たようなもので、指導者は独裁的地位を持っている。
だから「政敵」は簡単に抹殺されるのである。
いやいや大変な時代である。
Comments